卵子提供体験談2009.06体験談

日本で3回転院・合計17回の体外受精失敗の後に挑戦した卵子提供プログラム。初回成功で50歳目前にして母になった喜び。…子供の成長と共に若返る自分

IFCの皆様、お元気でお過ごしでしょうか?

新学期を迎え、我が子もまた無事一学年上へと進み、子供の成長の早さに驚かされております。「子供の成長に目を細める」という言葉がありますが、私達は、息子が生まれてからずっと目が細くなりっぱなしの状態です(笑)。

IFCさんの卵子提供プログラムで治療を受け、私がこの子を出産したのは50歳間近のことでした。まさかそんな年になって本当に母親になれるなんて、信じられませんでした。そして、何より、最愛の我が子を産むことができ、育てる喜びを味わうことができていることにこの上ない幸せを感じています。

子供がこうして大きくなった今では遠い別世界の出来事のようにも感じられますが、卵子提供プログラムに踏み切る前までの私の不妊治療歴はとても辛く長いものでした。

結婚したのが31歳で、不妊治療を始めたのは38歳のときでした。
日本で受けた体外受精は合計17回。転院は3回。新しい病院へ行くたびに、ここではきっとうまくいくはず、と期待を持ってはうらぎられていました。

最初の病院で受けた体外受精では、妊娠の喜びもほんのつかの間、心拍確認できず、8週で流産。その後は一回も妊娠陽性になることもありませんでした。本当は、病院のせいじゃなく、自分の卵子のせいだったということ、こうして後で振り返ってみるとわかるのですが、そのときは、とにかくきっと次は、と必死でした。

最後の頼みに通った病院では、なるべく自然な形で、と注射はせず、飲み薬だけで自然周期で毎月のように採卵していましたが、結局それもだめでした。

卵子がとれるのに着床しないので、子宮のせいかと思って、IFCさんに問い合わせたのは、まず代理出産についてでした。

でも、実際きちんとお話を伺ってみると、私の場合、IFCさんに初めて問い合わせたのは、すでに45歳を越えていましたから、卵子があっても、受精卵がうまく成長しなかったり、胚移植しても妊娠しないのは、卵子が古くなってしまっていることが原因かもしれなくて、私の場合は子宮が悪いのではなく、卵子の問題なのだろうということをそのとき初めて知りました。卵子があっても質が悪くなっていたら妊娠できない、ということをそれまでどの日本の先生も教えてくれませんでした。

それでも諦め切れなくてその後も数回自然周期の体外受精を日本でそのまま受けましたが、いよいよもうだめだと思い、わらをもすがる思いでIFCさんに卵子提供プログラムをお願いしたのは私が48歳のときでした。

夫はとにかく仕事が忙しく、なかなか休みが取れないので、一回の渡米で、精子を凍結してもらいました。

期待半分恐ろしさ半分、というのが正直な気持ちでしたが、日本人のドナーさんで、かわいくていい感じのドナーさんが一回目の渡米ですぐ見つかり、その後初めて自分でする注射のことでどきどきしているうちにあっという間に二度目の渡米の日が来たように記憶しています。

いくら卵子提供を受けても、自分ではすぐに妊娠できる自信がまったくなかったので、少なくとも二回ぐらいは挑戦しなくてはならないだろうと思っていたのに、何と一回目で妊娠!でも、自分の卵子の体外受精のときに、8週で流産した苦い経験があったので、心拍が確認できるまでは喜べませんでした。だから、エコーの画面で、ピコピコと心拍が見えたときにはとても感動したのを覚えています。

高齢出産ということで薦められた帝王切開で息子を無事出産したとき、私は49歳でした。50歳の誕生日目前で初めて「母親」になれたのです。

息子が生まれてからこれまで毎日が喜びでいっぱいで、もちろん育児で大変な日もありましたが、息子と一緒にいると、いつまでも若くいられるようで、そして、息子と一緒にいられる日々が一日でも長いように長生きしたいので、夫婦共にもっと健康に気をつけるようになりました。

やんちゃで元気な息子と一緒に遊ぶため、40代の頃より今の方が夫婦共体力アップしているような気もします(笑)。まわりには若いお母さんとかもたくさんいるので、最初は自分がどう見られるか心配でしたが、子供の話になると、年齢差なんておかまいなしに話が咲き、友達の輪も増えました。息子といると、年を取らずに逆に若返っていくような気分にもなってしまいます。

卵子提供のおかげでやっと生まれた我が子は私達の大切な大切な宝物です。息子は生まれてからずっと、私達と私達の周りに幸せを与え続けてくれています。私達の幸せのもとになってくれているこの子に、これからもせいいっぱいの愛情を注いで立派な大人になれるよう育てて生きたいと思っています。

もし過去の私のように苦しい不妊治療を繰り返している方がいらしたら、是非卵子提供プログラムということについても勇気をもって考えてみられたらいいなあと思っています。

自分の卵子を諦めるときは辛かったけれど、今、ひとつ後悔していることがあったとしたら、自分の卵子を諦めるべき時に早く諦めて早く卵子提供プログラムに進んでいたら、こんなかわいい息子との生活をもっと何年も前から始められたかもしれないのに、ということだからです。

自分のことばかり長々と書いてしまいましたが、参考になれば嬉しいです。
本当にいろいろ有難うございました。主人ともども感謝の気持ちでいっぱいです。

皆さん、どうぞお身体に気をつけて、これからも私達のような夫婦を幸せにするお仕事を続けてください。