卵子提供体験談'04〜'00体験談

関東・甲信越地方のO様のメッセージ「体外受精(IVF)20回を乗り越えて」

私は、過去に日本で20回の体外受精を受けました。今振り返ってみると、いったいどうやってその年月を過ごしてきたのか、自分でもわかりません。一回一回の体外受精が失敗するたび、他のことは全く考えずに、自動的に次の体外受精の準備に入りました。こうして繰り返しているうちに、いつか妊娠するだろう、いや、するはずだ、と信じきっていました。

18回目の体外受精をしようとしていたとき、私は40歳になっていました。子供が欲しいと考え初めてからの長い年月が過ぎ、いつのまにか40代に入っていて、自分でも焦りというよりは、恐ろしさを感じました。しかし、ここでやめてしまうのももっと怖い、と感じたのです。
そのとき、テレビで卵子提供プログラムのことを知りました。まさか後で自分が本当に卵子の提供を受けようとは全く思っていなかったのですが、40歳になったことがひとつの区切りとなって、やっぱり何か新しい方法を考えた方がいいのかもしれないと思い始めていました。そして、40歳の誕生日に主人に買ってもらったパソコンで、覚えたてのインターネットを始めて、恐る恐る問い合わせたのがIFCとの出会いでした。

そのとき、IFCの川田さんと何度もお話をしたのですが、考えてみれば、自分の不妊治療のことであれだけ詳しく誰か他の人と話せたのは、まったく初めてだったのです。薬の名前や治療の内容を言っただけで、ぱっと理解してくださり、反応が返ってくることだけでどんなに気持ちが楽になったことか…。

私のそれまでの体外受精では、最大量の排卵誘発剤を打っても卵胞が2個とか3個しか育たなかったり、ひどいときは授精しても胚移植できるような状態に育たなかったりしていたので、やはり私の卵子が赤ちゃんに育っていける力が残っていないのではないかと、サンフランシスコの先生からのご意見をいただいていたのにも関わらず、私は、どうしても自分の卵子のことが諦めきれませんでした。ですから、あれだけ丁寧に川田さんに相談していただいていたのに、今だから正直に申しますが、相談中に19回目の体外受精を内緒で日本で受けてしまいました。

でも、それが失敗に終わったとき、心の中で、こうなったら日本で20回めをやってだめだったら、もうやめよう、自分の卵子のことはきっぱり諦めよう、そして川田さんにお願いしてアメリカで卵子提供プログラムを受けよう、と決めました。
日本で受けた最後の、そして私の20回目の体外受精は、やはり失敗に終わりました。身も心も疲れ果て、主人との会話も振り返ると、体外受精のスケジュールのことばかりだったように思います。

そして、卵子提供プログラムに申し込んで、渡米。20回も日本で体外受精をしてしまったことで、サンフランシスコの先生には、本当に驚かれました。アメリカでは、私のような卵子の状態が悪い患者さんは、早いうちに薬などを変えていろいろ試し、原因や理由を先生と一緒によくよく考えて、最高3,4回の体外受精のあとで次のステップへ進むんだそうです。
精神的にも身体的にも、20回も本当に大変だったね、辛かったでしょう、とハーバート先生に声をかけていただいたとき、私は、医者にそんな優しい言葉をかけてもらったことがなかったので、先生の前で、涙が出て出て、止めることができませんでした。先生は、私が泣き止むのをじっと待ってくださり、そして、一緒に頑張ろう、とおっしゃってくださいました。
そのとき、私の横で、主人も涙ぐんでいました。私は、自分がかわいそうでかわいそうでしかたがなかったので、長い治療の間、主人も辛かったんだ、ということを本当の意味でそれまで気がついていなかったような気がします。

東洋人ドナー、特に日本人のドナーさんが少ないと聞いていたので、心配していましたが、初めて渡米して検診を受けたその日にドナーさんの候補者をたくさんみせていただき、何とその日に、とっても気に入った日本人ドナーさんが見つかって、正直申しまして狐につままれたようでした。決め手になったのは彼女の子供時代の写真で、私の子供の頃とどことなく似ていたんです。

その後は、あまりスムーズに進むので、どこかに落とし穴があるのではないかと始終びくびくする、というありさまでしたが、川田さんがいつも励ましてくださいました。

ドナーさんからは18個の卵子が採れ、卵子って、ある人にはこんなにあるんだ、と驚きました。自分のときが、いつも2個とか3個だったのが嘘のようです。妊娠判定がうっすらとでさえ陽性になったこともなかったのに、一回目の胚移植で妊娠。まず自宅で市販の妊娠判定キットで調べたのですが、はっきりと妊娠の印が出たとき、キットがこわれてるのではないかとさえ考えるありさまでした。

40代での出産も心配していたので、妊娠中に起こり得るいろいろな合併症が全部自分に当てはまるのではないかと、心配で心配で、妊娠中もずっと何度も川田さんにメールを出して質問攻めにし、それについてハーバート先生がいつも快く答えてくださって、本当に有り難かったです。今考えると恥ずかしいくらいです。ごめんなさい。
そして、大事をとって、予定日の2週間前に帝王切開で出産。健康な女の子です。かわいいかわいい(すみません、親ばかですが)我が子を抱きながらも、これがまだ夢なのではないかと思うこともあります。主人も、仕事から飛んで帰ってくる毎日です。

私の場合は、20回の体外受精があってやっと乗り越えられた自分の卵子への諦めでした。でも、こんなことなら、早くIFCと出会って、早く我が子を抱きたかったと思います。過去の私と同じような状況にいる方に、このことを伝えたくて、これを書きました。皆さんにも良い結果が訪れますように。